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「そんなにすぐに分かろうとしないで」

 先日、江戸千家名心宗匠が小習いで「灰」について実践を交えて教えてくださった時のことです。
その時は道安風炉の中に「遠山」の灰をつくる工程を丁寧に見せてくださり、
その後数名は、実際に灰をおさえるということをやらせていただきました。

最後に、何か聞きたい方は?と宗匠がおっしゃると、おひとり質問されました。

「灰をおさえるときは、どこを目指しているのでしょう。何を考えているのですか」

質問の真意をはかりかねるご様子で、仕上げの意味合いがあるとおっしゃいました。
実は、数名が灰を実際におさえているとき、宗匠はほとんどの弟子に
「速い」
と注意されました。
ゆっくり、集中して、まさにこれもお茶なのだということを教えてくださったのですが、
恐らく質問された方は、このご説明をもっと理解しようとしてのことだったのだと思います。
何度か宗匠とやり取りがあったのですが、最終的に宗匠がこうおっしゃいました。

「そんなにすぐに分かろうとしないで」

そして続けられました。
「まずはやってみることです。見ているのとやるのとでは全然違います。見ているだけは、ほとんど何もしていないのと同じです。雲泥の差があります。
実際にやってみると、どういうところが難しくて、どこを工夫しなければならないか分かるでしょう。
例えば灰で言うならば、綺麗にかたち作ることが目的ではありません。
綺麗にすることも大切だけれども、もっと大切なことは火を起こし、お茶にちょうど良い湯を沸かせられるかどうかです。この風炉にどんな釜を置くのか。そのバランスを考えて五徳を据えます。
実際に置く茶室で見てみないと、最終的に決定することはできないでしょう。
そういったことも、全て自分でやって考えないと。
失敗を繰り返し、だんだん分かってくることなのです。
いくら言葉で言っても、やってみなくては分からないことなのですよ」

この、「すぐに分かろうとしないで」というお言葉は、私にもズシっときました。
それは、「すぐに分かることじゃない」という意味でもあります。
つくづく、茶の湯ってそういうものだと思います。
灰や、その中にポッと赤い炭がある様子の良さなど、茶の湯を知らない人に
分かれという方が無理な話。
でも、やっていると分かりますよね、その良さが。
苦労して自分で灰をつくり、火を起こして、うまい具合にお湯が沸く。
そしてそのお湯でお茶を点てる。
お客も、その苦労を知っているからなお一層、一服のお茶がご馳走なのです。

パッとすぐに分かることは、すぐに飽きてしまうけど、
ジワジワ分かって、重ねるごとに難しさや美しさに気づく茶の湯というものは
なかなか分からないし、だからとても面白い。

私の茶室は火器厳禁で、電気を使っています。
ですからこんな記事を書く資格ないのかもしれませんが、
炭や灰の良さ、難しさは知っているつもりです。
もう少し自分の時間が持てるようになったら、
いつか夏の換気ができる時期に、挑戦してみたいと思います。